当たり前の暮らしが
明日も
「この場所」で続きますように
#STOP令和の地上げ屋
株式会社ATC(代表・レオパレス21創業者 深山祐助氏)は平出恵津子さんの住むアパートの取り壊しをやめて下さい
NEW!2025年5月14日 更新
[拡散希望]
YouTube動画 5月14日「速報・仮処分命令申立て」
「令和の地上げ屋」株式会社ATC(代表・深山祐助 レオパレス21創業者)と「長天株式会社」(本社・東京都豊島区、中国オフィス・上海市)の闇取り引きーー「借地借家法」に定める「賃貸人の修繕義務」を蔑ろにする「売り逃げ」は許しません。
「柿の木訴訟」って、何?
2022年5月、東京・新宿。平出恵津子さんの住むアパートが、株式会社ATC・深山祐助 社長(現会長)に買い取られました。
アパートが買い取られて大家さんが変わること自体はよくあることです。大家さんに対して立場の弱い住人の居住権を守る法律(借地借家法)があり、人が住んでいる建物を買い取った新しい大家さんは、これまで通り賃貸借契約を守る責任を負うので、通常は住んでいる人が困ることはありません。
ところが、この大家さん、、、昭和のいわゆる「バブル期」から不動産業界で大きな社会問題を引き起こしてきた人物でした。レオパレス21や株式会社MDIを創業した深山祐助氏、現在は土地の買取再販をもっぱらにしている「令和の地上げ屋」とも言える存在です。(深山祐助氏が引き起こした社会問題とは?
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平出さんの住むアパートを土地ごと買い取ったその3日後に、「取り壊すことが決まっているから出ていって」と、平出さん達・住人に立ち退きを申し入れてきたのです。
- 借地借家法ではよほど大きな事情(正当事由)がない限り、大家さんから解約を申し入れることは認められていません。
- また、不動産の専門業者(宅建業者)なので、一般の大家さんよりも宅建業法上の特別に大きな説明責任が求められます。
「よほど大きな事情(正当事由)」とは何があるのですか? と説明を求め続けたところ、全く説明が無いままに裁判(建物明け渡し請求訴訟)を突然に起こされてしまいました。平出さんは「アパートと自分の暮らしを守るため」のたたかいに巻き込まれていきます。
お部屋の目の前には、新宿では珍しい大きな柿の木が立っています。
柿の木には小鳥が羽を休め、柿の実を食べに来ます。その木陰に紛れて狸がいたり、地域のねこも暮らしています。この大きな柿の木に育まれるような暮らしが、明日も明後日も、当たり前に続きますように…そんな願いを込めて「柿の木訴訟」とその裁判を「支える会」です。
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裁判では何が争われているの?
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株式会社ATC・深山祐助とは?
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「令和の地上げ屋」って何?
「柿の木訴訟」で令和の地上げ屋とたたかう本人
平出恵津子(ひらいで えつこ)さん
50歳代「女性」・一人暮らし
非正規だけど「ごく普通の」会社員
ご本人からのメッセージ
「将来に不安はあるけれど、一生懸命生きています。」
私は今50代で、小さな出版社で長く契約社員として働いています。離婚をして3年前から初めての一人暮らしをしています。
中高年で低所得の非正規・一人暮らしというと、どうしてもみじめな生活や孤独な暮らしが思い浮かんできます。わたしはそうならないように、思い切って手取り収入の半分近くをお家賃と決めて、にぎわいがある町や商店街があって、相談できる人が近くにいる場所に暮らそうと、何度も通って時間をかけてお部屋を探しました。
ようやく見つけた今のアパートです。目の前に大きな柿の木があり、深呼吸したくなる雰囲気です。お部屋も料理が好きな私がこだわった二口ガスコンロがあって、清潔で、暮らしやすい、いいお部屋です。年を取っても長くて暮らしたいと思って借りました。私がここに暮らしていますと胸をはって言えるようなお部屋だと思っています。
そうやって、自分の暮らしを肯定できるように一生懸命暮らしていたところ、突然、建物の取り壊しを前提とした不動産会社がアパートを買い取って、私はすぐにでも引っ越し先を探してほしいと告げられました。
望まない引っ越しを迫られるなかで、私は一人の女性のことを思い出しました。
2020年東京・渋谷区内のバス停で命を落とした大林三佐子さんです。大林さんは当時、ホームレス状態でした。
大林さんは、派遣会社に登録して、スーパーで試食販売の仕事をしていたといいます。コロナ前は都内でアパート暮らしをされていたそうですが、非正規雇用でもあり、歳を重ねるなかで仕事も減っていき、アパートを出ることになってしまいました。
いろんな事情のなかで、住居を失いバス停で夜を過ごす姿が、将来のわたしにも重なるように思えました。
不動産会社の立退き担当の人には、私の暮らしは「残り1件」で、早く処理をしなければならない問題でしかなく、人として扱われなかったことにショックを受けました。
企業の利益が優先されて、望まない転居を強いられれば、精一杯保っている私の暮らしのままではいられず、惨めな暮らしに送ることになり、この先、どこかで踏みとどまれずに、将来は住まいを失っていくのではないかと、不安に襲われることもあります。
「借地借家法」という法律があっても、立ち退かせたい企業が勝手に法律を守ってくれるとは限らないことに驚きました。理由もなく住まいを追われそうになったときに、その人が自らを守るために使えるのが法律なのだと知りました。声を上げなければ法律は形骸化してしまい、違法に立ち退かせる行為も当たり前の世の中になってしまいます。そんなことがまかり通る社会はとてもこわいと思いました。
私の住まい・暮らしを守ることが、私の未来と、私たちの未来・社会も変えていく一歩になると信じて、「柿の木訴訟」に臨んでいます。
私が体験した現代の不法な追い出しの実態を、広く知ってもらい、私と同じようにギリギリの暮らしをしている人たちが、望まない転居を強いられて、不本意に生活が変わってしまうことがない社会になることを願っています。
大林三佐子さんの事件とは
詳細は下記の外部リンクをクリック
(NHK事件記者取材noteより) 追跡 記者のノートから「ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの」

「柿の木訴訟」をたたかう弁護士(第一次東京高裁)
戸舘圭之(とだてよしゆき)さん
「袴田事件弁護団」「ブラック企業被害対策弁護団」副代表。冤罪事件や刑事弁護、労働者の権利を守る活動に力を入れている。また、ホームレス総合相談ネットワークなど広く「生活困窮者」と呼ばれる人々の権利を守る弁護士。メディアへの執筆など多方面で活躍。

私たちが応援してます

大きな会社がお金にモノを言わせて力ずくで住居を奪うなんて、、私達は普通に平穏に暮らしていることが脅かされる社会にしたくないと考えています。ちいさな個人・平出さんを支えることから、私たちの暮らす社会を見つめ、集う人々で考え話し合い、小さなところから私たちの暮らす世界を変えて行きたいと願っています。

法島はるか
初めてスープの会の路上訪問に参加したとき、一番最初に話しかけてくれたのが平出さんだったことを覚えています。
参加者の人たちと自転車で出かけたこと、路上訪問で会う人についてなど、色々なことを教えてくれて、迎え入れてくれたことに、平出さんの暖かさ、優しさを感じました。その後も、初めて参加する人に率先して話しかけている姿をよく見かけて、私にはそれは、初めて参加するということへの緊張や不安を和らげたり、孤独にしない、置いてきぼりにしない、という平出さんの優しさの現れだと感じられました。平出さんの声掛けにホッとした人はいっぱいいると思います。平出さんと話していると、私は穏やかで落ち着いた気持ちになる気がします。その他にも、行動の節々に平出さんの親切を感じることがありました。
柿の木訴訟のことを聞き、改めて、住居が脅かされることは決して珍しいことではないのかもしれない、とまだ見ぬ人たちのことが頭に浮かびました。家に住めなくなるかもしれないというのはとても不安になることだったと思います。そして、実名と顔を出して声を上げるというのもまた、とても勇気のいることだったと思います。自分に起こったことをきっかけとして、そこだけで終わらすのではなく、きっとそういうことで困っている人は他にもいるはず、と、他の人たちのことにも目を転じて行動を始めようとすることは素晴らしいことだと思います。私も、どれだけ役に立てるかわかりませんが、困っている人たちを支えるための少しの力にでもなれたら、それだけでも嬉しいです。何も力になれなくても、応援してることはせめて覚えていてくれたらいいな、と思います。

高橋佐和
自分がそっと大切にしているものが、何か大きなものによって、無配慮に踏みにじられる… 平出さんが、
日々の暮らしについてやわらかく語っていらっしゃるのを聞いた時、この出来事の意味が、自分の中の感覚と結びついた気がしました。
平出さんは、色々なものを見落とさないよう、取りこぼさないよう、大切に大切にしている方だと思います。それはきっと、とても忍耐のいることです。繊細さ、謙虚さ、そして秘めた力強さが両立しているお人柄だと感じています。
そんな平出さんが、大切なものを大切にしようと抗っている、その気持ちに連帯したいと思います。
ただ、ふと私がいま半年ほど暮らしているアパートで同じことが起きて引っ越しを迫られた場合、私はどう感じるだろうかと考えた時、何かを見失うような気持ちになってしまいました。私がいまの暮らしをどれほど大切に思っているか、わからなかったからです。誰にでもそういう日はあるのかもしれませんが、部屋に帰っても、ここにいる感じがしないなぁと思ってしまう時があります。
いま起きていることは、「大切なものが壊されようとしている」ということでもあると思いますが、もちろん「暮らし」「生活」の問題です。
私が自分自身の暮らしや生活がゆさぶられることを考えずにいるのは、何かから目を逸らしているような気がしました。
暮らしというのは、自分が大切にしているという自覚がなくても、その人自身の大事な一部になっているんだと思います。
私が住む部屋の家具や物の配置だって、一朝一夕で決まったわけではなく、私の考えや生きた時間の積み重ねの上で、いま、そこにあります。
微妙に邪魔な場所にある小さい机や、壁際で無造作に積み重ねられた紙だって、何かしらの思考の結果としてそこにあり、きっと私の何かを表しています。
外の道を配達のトラックが通った時、振動で部屋の扉が揺れてうるさいから隙間に挟むことにしたその紙だって、「揺れるなぁ」と思った日々があり、面倒くさいと思いながらもちょうど良い厚さの紙を探した時間を経て、いま、不格好に差し込まれています。
周辺のスーパーをまわってそれぞれの特徴をなんとなく掴んでからは、大容量パックの鶏むね肉が毎週火曜日に安いところで、月に一回1kgくらい買い、下味をつけて冷凍することが習慣になっています。
暮らしているうちに、どうにもならない気持ちになった時に歩く散歩コースが自然とできて、お気に入りの場所で、「ここから見る、家々が立ち並ぶ様子が何となく好き」とか、「坂の下のこの郵便ポストがなんかかわいい」とか、自分が何かを好きと思う気持ちを確かめながら歩くことで、自分の感覚を取り戻しています。
人の生活や暮らしというのは、そういうものの積み重ねで、なんとなく住んでいるだけと思う部屋だって、生活しているうちに、その人とどこか切り離せないものになっているのではないでしょうか。
部屋は私の何かを表しているし、私は住む部屋や周辺の環境から知らず知らずのうちに影響を受けて、いろんなことを考え、決めているんだと思います。それが揺らぐということは、そこで暮らす人と世界との関係が揺らぐということで、その人の存在が揺らぐことでもあります。
人が暮らし、生活する場を、ただ利益を得るためのものとしてしか見ていないような人、会社に、どんな暮らしも脅かされてほしくありません。
大切な暮らしを守るため、大きなものと闘い続けている平出さんに、私が具体的にできることは多くないかもしれません。戸惑い、ゆらゆらしても、部屋の中でじっとすることしかできなくても、共に抗う気持ちは手放したくないと思います。

山田晋
社会問題として、誰でも地上げで住まいを失うことはあってはいけないと思いを巡らすこと··これは「義」(社会的正義)です
平出さんという身近にいらっしゃる大切で素敵な方が、大事にしている住まいを失うかもしれない、ということに自分の身に置き換えて心を寄せること··これは「仁」(身近な人への思いやり)です
そして、平出さんみたいな大切で素敵な方が理不尽な立ち退きを迫られることはあってはならない、悪いのは向こうなのに法的措置で脅かして、なんて許せない!ともに最後まで闘う!··これは「侠」(勇気を持って行動すること)です
私が平出さんを応援したい、という気持ちは「仁」と「侠」、つまり任侠なんです
今では、いわゆるカタギじゃない方を指す言葉として使われますが、本来は自分の大切な人にそういう理不尽なことがあっちゃいけない、許せない、ともに闘いたいっていう極めてまっとうな行動原理を指す言葉です
平出さんが、人間的に魅力的で、穏やかで、優しくて、でも芯が強くて大切なものは譲らない、っていうのは平出さんと直接お会いしている方はみんな知っているので、これ以上は私からは長々とは申しません
そして、これも平出さんを知っておられる方なら皆さんご存知かと思いますが、平出さんご本人はご自身の権利を声高に主張されるような方ではありません
芯は強い方だと思いますが、極めて穏やかで普通に暮らしをされている方です
その方が、勇気を振り絞って、今ある普通の生活を続けたい、理不尽なものは理不尽だと、いつまで続くかもしれない大きな不安と闘っています
普通に生活している人が普通に生活することは、声高に主張して勝ち取る特別で崇高なものではないと思います
普通に暮らしておられた方が、それこそ事故や災害に巻き込まれるように、突然に住まいを極めて理不尽に立ち退かされそうになっている、ということに一人でも多くの方が気がついて思いを寄せてくれることを真剣に願っています
また、我々も平出さんみたいな理不尽な立ち退きを迫られている人がおそらくいらっしゃることに思いを馳せ、共に闘いたいと思います
冒頭申し上げた「義」の入口から、平出さん個人とその魅力を知って頂いて、ともに思い寄り添って「任侠」の世界に踏み出して下さることをお願い申し上げます

後藤浩二
自分の暮らす「おうち」の在り方やそこに重なる想いは、人それぞれに千差万別です。「この歳になっての、初めての一人暮らし」と、
平出さんはおっしゃっいます。今のお部屋に引っ越して来るまでに、いろいろなことがあったのだと思います。「突然お部屋を失うかもしれない」というこの不安がどんな気持ちなのか、平出さん本人でなければ分からないものなのかも知れません。
それでも、平出さんはこの裁判について「発信すること」を自分の支えにしたい、とおっしゃいます。
自分の暮らしを「語る」と言うことは、とても勇気のいることだと思います。その言葉に耳を傾けてくれる誰かと一緒に、支えあって紡がれるものだと思います。
「柿の木訴訟」とその「支える会」には、平出さんや平出さんと関わる人々の「暮らし」の言葉が溢れています。
「ちょっと、気になるから」くらいの気持ちでいいので、たくさんの人に立ち寄って覗いていって欲しいと思います。
誰かの暮らしを、ちょっと気にしてしまう。そういう人達と一緒に、立ち止まったり戸惑ったりもしながら、私も暮らしを紡いでいかれればと願っています。